toggle
2013-02-10

2月9日のメモ

昨日、バッハのパルティータ全曲演奏を聴きにいく。
音が小節という小さな枠組からはみ出そうとしているようだった。
その音は、箱(小節)のなかにきっちり管理されて入れられているのではなく、
箱の中で自由に戯れ、ときには飛び出そう(崩壊)としていた。
(もしこれが究極までいけば、時間と空間という音楽にとって最も重要な枠組みからも音は軽々
と飛翔していたのかもしれない。要するに”永遠”に音は刻み込まれてしまっていたかもしれない)
昨日の演奏は安心、安全というよりかは独特の緊張感、危うさがあった。そこが良かった。
完全に意識で統制、統合された音。どこか冷たく、無表情。安全だが面白みがない。無作為を装った作為。
音の揺らぎ、分岐、ムラ、にじみ、ほころび……。
それらは奏者の作為と無作為の間から持ち込まれ、音楽を魅力的なものにする。
(残念なことに、プロを目指す過程でこれらは有害なノイズとして取り除かれてしまうことがほとんどだ。
どうしても音を完全にコントロールしようという意識が働いてしまう。だがそれでは結局上手くいかない)
つまり、一般にミスとか失敗と呼ばれるような要素がかえって音楽に血を通わせ、生な感動を生む。
こうして、統合と分岐の絶妙なバランスの上に演奏は成り立つ。ヘタ上手の構造。


さて、演奏に限らず、これは自分自身の生き方にも適用されるだろう。
日常のサイクル、あるいはパターン。そこに閉じ込められ、埋没していく。風穴をあけよう。
以前書いたことだが、使い慣れた扉ばかり開けていて全く使っていない扉がたくさんある。
あるいは使わなくなってしまった扉がある。扉のノブは錆びついて開きにくくなっている。
だがその先にはこれまで知らなかった世界、忘れてしまっていた世界が広がっているかもしれない。
“自分”というパターンからの脱出。どこかでレールから逸れてみる。別に旅行に行かなくても非日常はぽっかり
と穴をあけて僕たちを待ち受けている。マンホールがその象徴としてよく用いられるように。異世界への穴。
日常に非日常が見え隠れする。裂け目はある。それを広げること。そこから新しい風景が見えてくるはずだ。

関連記事

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です

CAPTCHA