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2012-03-20

詩の時間

間違い
      
 わたしのまちがいだった
 わたしの まちがいだった
 こうして 草にすわれば それがわかる
 そう八木重吉は書いた(その息遣いが聞こえる)
 そんなにも深く自分の間違いが
 腑に落ちたことが私にあったか
 草に座れないから
 まわりはコンクリートしかないから
 私は自分の間違いを知ることができない
 たったひとつでも間違いに気づいたら
 すべてがいちどきに瓦解しかねない
 椅子に座ってぼんやりそう思う
 私の間違いじゃないあなたの間違いだ
 あなたの間違いじゃない彼等の間違いだ
 みんなが間違っていれば誰も気づかない
 草に座れぬまま私は死ぬのだ
 間違ったまま私は死ぬのだ
 間違いを探しあぐねて
                 谷川俊太郎
逆に正しさとは何なのだろうか。
そんなものがどこかにあるのだろうか。
この詩はそんな問いを投げかけてくる。


ある雑誌のインタビュー「谷川俊太郎への93の質問」から一部分を抜粋。
 
 Q.では質問のスタートです。きょうはいままで何をしていましたか。
 A.一応生きてきました。
 Q.小さい頃、どういう子供でしたか。
 A.ヤなやつ。
 Q.どういう青年でしたか。
 A.マジメなやつ。
 Q.結果、そういう人格形成をたどった人間は、どういう大人になるでしょう。
 A.こういう大人になります。
 Q.人を裏切ったことはありますか。
 A.ある。
 Q.反対に、裏切られた経験はありますか。
 A.ない。
 Q.道徳とは。
 A.嘘まみれ。
 Q.人間を教育することとは。
 A.恐ろしい。
 Q.信じている宗教がありますか。
 A.ありません。
 Q.それは、どうしてですか。
 A.権威がきらいだから。
 Q.信じたいけど、信じたらバカをみるな、と考えているものは何ですか。
 A.正義。
 Q.それは、どうしてですか。
 A.そんなものはないから。
間違いながら、つまずき転びながら、生きていく。
格好わるいけど、これしかできない。

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